DISCOVERY DENSEN

初めての電線! The first electricwire in Japan!

今では日本のいたるところで見かける電線。
でも、そもそも電線っていつから日本にあったの?
今回は、そんな電線のヒストリーをさかのぼります!

黒船に乗ってやってきた電線

船のイラスト 「YEDO, YOKOHAMA」

教科書にも載っているあのペリー。実は、電線にも関係があるって知ってましたか?日本に開国を迫るため、たくさんの魅力的な外国品とともに江戸幕府に献上したのが2つの電信機(電報をやり取りする装置)と電線でした。技師によって電報のやり取りも実演され、離れた所に一瞬でとどく「YEDO(江戸),YOKOHAMA(横浜)」というメッセージを誰もが興味津々で眺めていたそうです。

天才学者が作っていた“日本初”

佐久間象山のイラスト SHOZAN SAKUMA

ペリーが電信機と電線を持ってやってくる「5年前」。実は佐久間象山という人物が、オランダの書物を元に電信機と「絹巻線」という電線の自作に成功していました。これが日本初の電線だと言われています。佐久間象山は兵学や思想学にも長けており、あの坂本龍馬が師と仰ぐほどの天才だったそう!幕末の日本でも海外の先進技術を自作できるほどの学問技術が育っていたことが、開国後の日本を大きく後押しすることになります。

初の実用化!横浜につながった電線

浮世絵 「ZOOM!!」

明治維新の翌年、1869年。世界へ開かれた横浜港に、いよいよ国内初の電信施設ができます。明治政府は横浜灯台局から横浜裁判所のあいだに約760mの電線を通し、官用の電信施設として実用化を始めました。飛脚や伝書鳩を使って手紙を届けるのが当たり前の人々にとって、メッセージを一瞬で遠くへ届けられる電線はまるで西洋の魔術…。なかには不気味に思って石を投げたり電線を切ってしまう人もいたらしく、役人が馬に乗って電線の見張りをしていたそうです。

760m 横浜灯台局>>横浜裁判所

水車のチカラで電線を量産!?

水車のイラスト

電線を日本中へ広げるためにも、材料として大量の銅線が必要に!そこで政府が目をつけたのが、京都にあった“銅線引き“の技術でした。実は京都では屋根瓦の固定用に銅線が使われており、それらの銅線を水車の力で生産する工場があったのです。水車を使った銅線引きの技術はそのまま電線づくりの基礎となり、電線の普及に大きく役立ちました。今の電線づくりの仕組みも、動力が水車からモーターになった以外はほぼ変わっていないそう。日本製の電線は、今も昔ながらの技術が活きているんですね。

COLUMN

ティファニーで電線を?

ペリーが電線を持ってきた4年後、1858年。イギリスとアメリカのあいだには大西洋横断ケーブルがつながり、「世界を一つにした電線」として人々を歓喜させました。ニューヨークではパレードも行われ、その盛り上がりは宝飾店のティファニーが残ったケーブルを切って記念発売したほど。今では当たり前となった電線は、当時の人々にとっては新時代の象徴だったのです。

ATLANTIC TELEGRAPH CABLE