DISCOVERY DENSEN

地中電線の未知なる歴史

今、日本国内では「電線の地中化」が進められています。しかし、なんと人々がまだ着物を着て生活していた明治時代初期から電線の地中化は始まっていたのです。そこには、ある驚きの理由がありました。

1.きっかけは、外国人の“日本愛”…?

時は1888年。前年の東京電燈の開業に続いて神戸電燈が開業し、神戸市内への電力供給が始まりました。ただ、当時の神戸にあった外国人居留地からは「電柱を建てて電線をかけると、美しい景観を損ねる!」との苦情が…。欧米では、電線は地下に通すのが一般的だったのです。神戸電燈はその意見に対応するため、外国人居留地には高価なアメリカ製の「エジソン・チューブ式地中電線」を布設。これが、日本初の地中電線と言われています。

「神戸名所 神戸市中及ビ海岸」の画像 開港後の港町神戸は、舶来文化の窓口になりました。「神戸名所 神戸市中及ビ海岸」(所蔵:神戸市中央図書館)
写真は、ニューヨークで掘り出されたエジソン・チューブ式地中電線。アメリカの博物館に保存されています。出典:SPARK Museum of Electrical Invention エジソン・チューブ式地中電線の画像

2.MAID IN JAPAN! 次なる挑戦

東京電燈や神戸電燈が外国製の地中電線を使う中で、日本初の国産品導入に挑んだのが京都電燈です。当時の日本にとって、高価で取扱いが困難な輸入製品からの脱却は大きな課題。そこで京都電燈は、伏見火力発電所と京都市内をつなぐ地中電線の製造を、電線の開発に取り組んでいた住友電線製造所に託します。その決断に対し、住友電線製造所は苦労の末に見事に対応。当時の最先端技術であった「紙絶縁鉛被(かみぜつえんえんぴ)ケーブル」を実用化し、1911年に日本初の国産電線の地中化に成功しました。

住友電線製造所が製造した紙絶縁鉛被ケーブル。画像提供:住友電気工業株式会社 紙絶縁鉛被ケーブルの画像
伏見火力発電所の画像 1911年に建設された伏見火力発電所。地中電線に使われた電力用の紙絶縁鉛被ケーブルは、なんと布設から28年後も故障なく使用されていたそうです。

3.天皇陵までの道の地中に、電線を⁉

日本初の国産地中電線が布設されてから8ヶ月後、明治天皇が崩御され、「伏見桃山陵」の造営が決まりました。新しく設けられた桃山駅から祭場までの約2kmの間には内外灯が必要となり、その送電のために地中電線が布設されることに。大葬までたった1ヶ月しかない中で、住友電線製造所は製造工程に改良を加えることで見事にその大役を果たしました。そして、天皇陵の景観を損ねずに周辺に電力を供給する一助となったのです。

「伏見桃山陵」の画像 京都府伏見市の「伏見桃山陵」。地中電線を布設することで、美しい景観を保っています。「明治天皇御大喪儀写真帖」(所蔵:国立国会図書館)